あれから1年
あまりに甚大な被害を知るにつけ、地震発生当時の取るに足りない些細な
個人的な出来事をわざわざ掲載する意味もなく、直ぐに公開を取り止め
下書きのまま残っていたものです。
その日、奥サンが公休日で午後から近鉄草津まで
出産祝いの買い物に引っ張り出されました。
贈り物を選んでいる間(4階売り場)ワイは同じフロアの書店で立ち読み。
『ん? 立ちくらみが・・・』
本から眼を離してみても治まらないので頭の横を
2,3回叩いてみるが変わりない(地震だとは気づかず)
本を棚に返し、少し歩いてみてもフワフワする身体は、
『これはただ事ではないぞ、脳梗塞の前兆か?』 と脳裏に浮かぶ。
同時に、もしここで卒倒しても直ぐに誰かが救急車を呼んでくれるはずだ、と。
女性数人が固まってワイの方を凝視している・・・。
マスク姿だったので、鼻血でマスクが真っ赤に染まっているのか、
と思った瞬間、店員さんが、
「お客さん!上の物が落ちてくるかも知れませんのでジッとされてください」
ここでやっと地震だと気づく。
女性らはワイを見ていたのではなく、その時ワイの頭上にあった案内板が
ユラユラと揺れていたのを見ていたのだ。
買い物客の一人が携帯電話をイジリ、皆に聞こえるように「東北で地震やてー」
ワイは、『ウソやろ、震源地が東北でこんなに揺れるはずがない』と思う。
店内放送は「この建物は大丈夫です」と、何を根拠にそんな事を言うのだろう。
皆が知りたい震源地や地震規模の放送は一向にない。
近鉄には、家電売場がなくTVをみる事が出来ずに駐車場の車へ。
車内でTVをみているうちに、『これは相当な規模やぞ、被害甚大になるぞ』と。
その後の大惨状は書くまでもありません。
以前と同じ平凡ではあるが、そんな生活を過ごせることが
どんなに有難いことかと身に沁みます。
また、一方では義援金以外に何も出来ない無力なワイ自身には・・・。
例年、終戦記念日には各寺院で梵鐘を撞いていますが、
今回の地震発生の3月11日午後2時46分、
守山市内の寺院一斉に梵鐘を鳴らし、追悼の意を表すこととなりました。